私の生き方 in アメリカ

#17: テニスを通して輪を広げていきたいー 新谷みきさん(CA)

10/16/2023 | 私の生き方 in アメリカ インタビュー

今回は、カリフォルニア州サンディエゴで、アメリカへのテニス留学サポート会社を経営されている、新谷みきさんをご紹介します。

1. アメリカに来た経緯を教えてください。

1997年に、主人の海外赴任に帯同し、子供を二人連れて、サンディエゴに引っ越してきました。引っ越しをした日が、下の子供が1歳になる前日で、アメリカに到着して、すぐに1歳をお祝いしたことをおぼえています。それから、ずっとサンディエゴで暮らしています。

2. 現在のお仕事、あるいは今、情熱をもって取り組んでいること、好きでやっていることは何ですか?

2017年から、ポップテニスという会社を経営し、主に、アメリカの大学にテニス留学をしたい日本人の方々をサポートしています。もともとは、自分が趣味で始めたテニスだったのですが、趣味が高じて、気づいたら仕事になっていました(笑)。

3. どういった経緯を経て、趣味が仕事になったのでしょうか?

ずっとテニスを習いたい、と思っていたので、アメリカに引っ越した後、日本人のテニスグループに入りました。そこで、みんなで一生懸命練習して、レクリエーションリーグに参加するようになったんです。大会に出場するようになり、キャプテンなどを経験するうちに、「もっとうまくなりたい!」と思うようになり、他の地区でプレーするようになりました。そうやって、自分のテニスの世界がどんどん広がっていったんですね。そうこうしているうちに、私の子供たちも、ジュニアテニスを始めるようになり、子供を通しても、テニスに関する人脈がどんどん増えていきました。そこで築いた人脈がきっかけとなり、日本人の方が経営されていた、スポーツの留学斡旋をしている会社で働くようになりました。

また、日本に一時帰国した時など、子供のテニス活動を通して、日本においての自分のテニスの世界も広がっていきました。そこで繋がった方たちから、「アメリカでテニスをやりたいけれど、どうしたらいいですか?」と聞かれることも増え、日本でのアメリカテニス留学のニーズを実感しました。

テニスに特化した仕事がしたい、と考えていたので、知識をしっかり学ぼうと思い、テニスのコーチの資格を取り、指導者の方たちともつながっていきました。その段階で、当時働いていたスポーツ留学斡旋会社から独立し、自分のビジネスをスタートしました。

4. 現在のお仕事の楽しい点、大変な点は何ですか?

コーチと選手をあわせてあげたり、お世話をしている選手の試合をみたりなど、現地で活動している時が、やはり楽しいですね。自分がお世話をした選手が、試合に出場しているときは本当に感無量です。今では、アメリカの大学の多くが、テニスコートにカメラを設置しているので、日本にいらっしゃる親御さんたちも、自分の子供がプレーしている姿をネット配信で見ることができます。お子さんがプレーしている姿をみて、親御さんたちが喜ぶ姿をみるのも、非常に嬉しいです。

大変なところは、というと・・・大変なところだらけです(笑)。特にアメリカの大学入学に関わる書類の手続きが大変なんです。具体的な例を一つあげると、大学の保険です。以前は、大学自体が保険のプランを選び、選んだものを学生に提供し、学生は保険料を大学に納める、といった形が主流でした。でも今では、経費削減の一環か、そういった作業を外部委託する大学がほとんどで、結果、大学が契約している保険会社と学生個人が、直接契約をしなくてはいけないし、アカウントも自分で管理しなくてはいけない。一つ一つのことを、自分で決定しなくてはいけないのですが、日本からアメリカにやってきたばかりの学生が、アメリカの保険内容の詳細を知るわけもありません。また、アメリカの大学の授業システムについて馴染みのない学生がほとんどなので、そのシステムに慣れるまでは、宿題の提出等、勉強に関することもサポートするのですが、そういったテニスに関わらない細かなところのサポートが、大変だなと思います。でも、テニスだけではなく、勉強と大学生活も実りあるものにしていただきたいので、私たちもしっかりサポートをしていきたいなと思います。

5. アメリカ生活で、苦労したこと、日本に帰りたくなった体験などを教えてください。

以前は、よくつらい時は、夫にブーブー文句を言っていました。「あなたのために来てあげたのに!」って。でも、仕事を始めてからは、不思議と、夫へブーブー文句を言うことも、日本に帰りたいと思うことも、なくなったような気がします。やはり、自分にできることをみつけて、自分がやりたいことをやっているので、忙しすぎて、文句を言う暇もなくなったのでしょうね。
自分がやりたいことをできている環境は、考えてみたらとてもありがたいことですよね。

6. やっている活動に関わらず、アメリカにきて、自分が成長したとおもえるようなきっかけ・体験談ありますか?

成長したい!という思いはありますが、現実は、自分を省みて、反省することが多いです(笑)。でも、強いてあげるなら、仕事をやらせていただいているから、できるようになったことは確かにありますね。例えば、人と積極的につながっていったり、自分の気持ちを伝えようと、努力するようになりました。私はもともと人とのコミュニケーションが得意ではないのですが、仕事を始めてからは、自分をもっとわかってもらうように、相手のことをもっと理解するように、努力をしているし、その経験からたくさんのことを学ばせていただいています。

また、学生さん達との出会いも、私の成長につながっていると思います。そもそも、日本を飛び出て、わざわざアメリカでテニスをしようと考える人は、日本にいる時からすでに志が高い方が多いです。それでも、最初の顔合わせから、大学入試を経て、アメリカでテニスをしながら大学生活をスタートさせてくると、顔つきもどんどん変わってくるんです。経験力がオーラとなってでてくるんですね。それを見るのが非常に楽しみです。大学生活もテニスも、いつも順風満帆ではありません。テストや試合の結果が悪かった時など、うまくいかないこともたくさんあるのです。自分はどうすればいいのだろう、と、どこかに活路を見出さなくてはいけない時に、マグマがどんどんたまってくるので、それを察知して、うまくガス抜きをしてあげる。そして、選手にとってベストの方向に軌道修正させる。そこを見極めることは、自分の勉強にもなるし、成長できる機会になっていると思います。

7. 今後の展望を教えてください。

「ポップテニス」の輪をもっと広げていきたいです。ポップテニスを通してアメリカにテニス留学した学生の一人が、今年の5月に卒業をしました。私たちの、卒業生第一号です。この方は、日本に帰国し、無事に就職されました。先日、日本に出張した際に、卒業祝いをさせてもらったのですが、そこには、その子のコーチや後輩もきてくれて、本当にみんな「ポップファミリー」のようでした。
また、選手や親御さん同士のミートアップも定期的に開催しており、「テニス留学」という同じテーマを持つ仲間たちと出会える場であるため、大変好評をいただいております。こういった集まりを、これからも継続していきたいと思います。

また、私自身は、会社を続けていくために、どの人とどうやって繋がっていくか、を常に考え続けたいです。ネットワークを広がっていって、ポップテニスをどんどん広めていきたいと思います。以前知り合いに「大変そうですね。」と言われたんです。でも、「大変そうにしている」と、この仕事を一緒にやりたいと思ってくれる方がなかなか見つけられないと思うので、「この仕事楽しそうだな」「私も仲間に入りたいな」と思っていただけるように、「楽そうに、楽しそうに仕事をする」ように見せるにはどうしたらいいか、ということも意識して仕事をしていきたいです(笑)。

8.アメリカにいて、やりたいことが見つからずに、もやもやしている日本人女性へのメッセージをお願いします。
私も、もやっとしていた時期がありました。独立を決意したとき、私は50歳を過ぎていました。それまでは、ずっともやもやし続け、そのもやもやが最高潮に達した時に、「このままではダメだ!」と思い立ち、車を8時間飛ばして、サンフランシスコに行き、翌日から3日間あったコーチングのテストを受けたことが、自分の人生のゲームチェンジャーとなりました。私の場合、自分を追い込むことで、爆発力を発揮するので、もやもやが最高潮に達するまで、もやもやし続けたのは、とても良いことだったと思います。
あくまでも、私のやり方ですが、今、もやもやしている方がいるとするなら、その「もやもや時間」をどうぞ大切になさってください。いつかそのもやもやが力になる、と信じ続けることが大切です。

アメリカテニス留学ポップテニス:https://poptennissd.com/

★Interviewerのあとがき

みきさんは、インタビュー中、終始とても和やかで、テニスがテーマだったこともあり、私の中では、常にさわやかな風が吹き続けていました。テニスが心から大好きで、アメリカでテニスを頑張る学生たちを応援していきたい!という思いが、インタビュー中に伝わってきました。学生さん達を陰になり日向になり見守るその存在は、まさに頼れる「寮母さん」のようでした。「もやもやが最高潮に達し、爆発するその時まで、もやもやし続けていい。」というアドバイスは、「もやもや」を早く消し去ろうと焦る故に、さらに「もやもや」が増えていってしまう方たちへの、心強いメッセージになったと思います。

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