今回は、和菓子作りに情熱をもって取り組んでいらっしゃる、角田幸子さん(バージニア在住)をご紹介いたします。
1.アメリカに来た経緯を教えてください。
2013年に夫との結婚を機にアメリカに移住しました。日本で通っていた地元の大学院では建築学を専攻、卒業後は日本での就職も考えていたのですが、すでに日本とアメリカで3年程遠距離恋愛をしていたので、夫とも相談し、私がアメリカに移住することに決めました。私の姉からは、「日本で5‐6年働いて経験を積んでからアメリカに行っても遅くないと思うよ。」とアドバイスもありました。正直に言うと、「姉の言うことも正しかったのかもしれない。」、「日本で経験を積んだあとでアメリカに来て、職を探していればまた違っていたかもしれない。」と思うことは何度かありました。
2. アメリカに移住してからはどのようなことに取り組んでいましたか。
渡米後は教会の英語クラスに通ったり、週末はボランティア等をしていました。また、コネクション作りや英語のアウトプットのため外に出るようにしていました。
当時夫がJETプログラム同窓会の一員だったこともあり、日米関係のイベントやボランティア活動にもよく参加し始めるようになりました。ボランティア活動の繋がりから、ワシントンDC日米協会への就職が決まりました。アドミニストレーター兼プログラムコーディネーターとして、アメリカ人向けの日本語クラスの開講、お料理教室、文化関連ワークショップの企画や取りまとめを行いました。協会が毎年4月に開催する、全米最大の日本のお祭り「さくらまつり‐ジャパニーズストリートフェスティバル」では、日本から渡米された日本人パフォーマー団体様の旅程や宿の手配、その方たちがさくら祭り以外でパフォーマンスできないか、機会を探したりと、多岐にわたる業務を務めさせていただきました。
日本とアメリカで大きく文化が違う中で、アメリカの人が日本に興味を持ち、自分の生まれた国である日本について知ってもらえたり理解してもらえること、好きになってもらえることにやりがいを感じました。日本について日本人である私でも知らないこともあり、逆に自分自身が新たに学ぶことも多かったです。日米協会でのお仕事内容は大学院で学んだことと関係は無かったのですが、海外で働く事、仕事を通してさまざまな職種の方々と出会えたこと、一緒にお仕事ができたことはかけがえのない宝物です。
3. 今情熱を持って取り組んでいることはありますか?
和菓子づくりです。和菓子づくりのきっかけは、娘が生まれて一歳くらいになる頃の、ふとした出来事でした。娘が夜通し寝てくれる時期があり、休憩もかねてインターネットでニュースを読んだり、調べものをしていました。偶然、茶道でふるまわれる上生菓子の写真が目に留まりました。その時、「なんて綺麗なんだろう。」と心を動かされ、その瞬間、走馬灯のように日本のことを思い出しました。そのことをきっかけに、和菓子作りについて調べ始めました。道具は高価で買えなかったので、家にある竹串やフォーク、お箸等で代用し、和菓子作りにチャレンジしていました。
中学生の時に和菓子の特集をテレビで見た時に「綺麗だなぁ。」と思ったことはあったのですが、職人は男の人にしかなれないという思い込みがあり、興味はあったものの、それを職業にしたいという考えまでには至りませんでした。アメリカに来て、「女性だから出来ない。」という考えは取り払われていたので、自然とやってみようという気持ちになれたのだと思います。また子ども達にも日本の文化にふれてほしいという思いもあり、和菓子づくりを始めました。
試行錯誤の末、作成された和菓子
4. 和菓子作りの楽しい点は何ですか?逆に大変なことはありますか?
これは日米協会で働いていた際にも通じますが、日本のことについて興味を持ってる方に、和菓子の歴史や作り方を伝えられることが楽しいです。アメリカの方が、日本をより好きになってくれたり興味を持ってくれることで、少しでも日米の友好関係に貢献出来たらいいなと思っています。また、娘たちが(6歳と3歳)が和菓子づくりがとても好きで、季節の上生菓子を子どもたちと一緒に作れる時間は、何物にも代えがたい喜びを感じる時間です。娘たちが思い思いの和菓子をつくり、楽しんでいる姿を見ていると、とても誇らしく思います。
私の課題は、和菓子の歴史について学び、それを英語で伝えることです。まだ私も勉強中なのですが、練り切り餡を使った上生菓子には菓銘があり、俳句や短歌、季節、歴史、出来事からつけられています。練り切り菓子の季節あふれる意匠、菓銘から創造できる景色を想像しながらいただくお菓子は、他国にないユニークな点だと思います。そのようなことを上手くアメリカの方に伝えることができるように、英語の表現等を工夫するよう努力をしています。
5. 今後の目標等はありますか。
日本人だけの和菓子ではなく、世界中の人々の心に届くような和菓子が作れたら幸せです。2023年夏には家族で中国瀋陽に引っ越しが決まっています。日本の和菓子文化は、6-7世紀に、遣唐使が中国から持ち帰った「唐菓子(からくだもの)- 米、麦、大豆、小豆などをこねたり、油で揚げたりしたもの」に影響を受け、そしてポルトガルから伝来した「南蛮菓子」によって、砂糖を使った和菓子、製造方法共に、大きな発展をもたらしました。和菓子の発展には、時代背景や世界情勢との関係がとても深いので、そういったことも含め学んでいきたいです。将来日本に住むことになれば、東京の製菓学校にも行きたいと考えています。
6. やりたいことが見つからず、もやもやしているアメリカ在住日本人女性へのメッセージをお願いします
将来自分は何をすべきか悩んでいる方は、自分と対話できる時間を作ってみてほしいです。日々忙しく過ごしていると、自分の気持ちを後回しにしてしまいます。買い物の帰り道でもいいですし、自分だけを見つめる時間を意識してもつこともいいかもしれません。その時間は、周りと比べることはせず、自分はどう思うか、自分は何が好きなのか、を考えてください。すぐに答えはでなくても、必ず自分の納得のいく方向性や、心の声が聞こえてくる日があると思います。
また、自分の頑張りを認めてあげることも大切だと思います。私は建築学を専攻し大学院を卒業しました。しかし、建築関係の仕事に現在はついていません。アメリカで建築関係の仕事に就けなかったことに対し、自分の努力が足りなかった、大学院での経験を無駄にしている、と自分を追い込むことも多々ありました。でも、自分なりに精一杯頑張ってきたんだから、自分を責めるのは、もうやめようと思いました。今は和菓子のすばらしさを伝えていきたいという目標に向かって、今できる事に一生懸命取り組みたいです。うまくいかない時、自分の足りていない部分に焦点がいきがちですが、自分を責めたりせず、これまで積み上げてきた経験や大きな努力を振り返り、ご自身を十分に褒めてあげてほしいです。「自分はこれだけできるようになった。」、「必ずやり遂げられる。」と、自分の将来の可能性に意識を向けてほしいです。
角田幸子さんのインスタグラム:sachi_wagashi
★Interviewerのあとがき
私も日本で大学院に通っていたので、異国の地でのキャリア形成について今でも悩んでいますし、幸子さんに共感する部分が多かったです。異国の地に来てから、キャリアのギャップに悩んでいる方がいるとすれば、「異国の地で頑張っている自分をまずは認めてあげる。」というのは、大事なメッセージだと思います。上の記事ではふれませんでしたが、幸子さんは一人目のお子さんが生まれた後に、パートタイムのお仕事もテレワークでされていたようなのです。しかし、子育てと仕事のバランスが難しく、子育てに集中する選択をされました。アメリカにいると「共働きが当たり前。」といったプレッシャーを日本より強く感じます。しかし時々私は思うのですが、自分が子育てに集中したいと思うのであれば、そのような選択は全く悪いことではなく、むしろどちらも尊重されるべきだと思います。もしかしたら、そんなプレッシャーに悩まれている方もいるのでは、と思い追記しました。幸子さんは自分にとって何が大切か、何が自分に喜びを感じさせてくれるかといったことをよく分かられていて、渡米後に色々な選択をし、今の生活を送られているように感じました。