今回は、ニューヨーク州在住の琴・三味線奏者、石榑雅代さんをご紹介します。
1. Please tell us about your journey coming to the United States.
1992年、コネチカット州ウエスリアン大学音楽部で琴と三味線を教えるために、アメリカに来ました。小さい頃から琴と三味線を習っていて、音楽大学では邦楽を専攻しました。1960年頃ウエスリアン大学には、現在人間国宝になられている琴の先生が教えに来ていたんです。私の師匠、沢井先生は、日本で琴や三味線が衰退の一途を辿り、琴が音楽として扱われず、琴が嫁入り道具のようになっていることを危惧していました。「琴は日本で燻っているような楽器ではない、琴の音楽は世界に出るべきだ」と考えていたんです。そこで単身で世界を回り、琴の音楽を広げるための道筋を作ってくださり、自分で資金を出して海外に生徒を派遣していました。私もその一人として26歳の時にウエスリアン大学に来ました。1996年、ニューヨークで琴を教えていた方が引退されるということで、引き継いで琴を教えるためにニューヨークに引っ越しました。
2. 現在の活動を教えてください。
ニューヨークで自分のグループを作り、琴と三味線を教えることを生活の基盤としています。演奏家としては、アメリカの各地やアメリカ以外の国からなど、多くの場所から呼んでいただき演奏をしています。
3. 今の活動の楽しいこと、そして大変なことはありますか?
いつも言っているのですが、私は琴に泣いて、琴に喜びを見出す人生です。自分の好きなことを見つけて、それができることは幸せだと思いますが、なにしろ自由業ですから、自分で何かしない限り収入はありません。ニューヨークという場所だから大勢の生徒さんが師事してくれて、活動を大きくすることができましたが、いつ生徒がいなくなるのか、いつ演奏の仕事の依頼が来なくなるかわからず、常に薄氷を履む思いです。来年はどうなっているんだろうという恐怖もあります。
現在はお琴を知る人も多くなってきましたが、アメリカに来た当時は知らない人がほとんどで、どう説明し売り込んでいったらいいのか、といつも考えていました。今も厳しいことに変わりありません。まだ知られていないことをどう知ってもらうか、どうしたら私の演奏を皆様に見てもらう機会をいただけるのか、それが一番難しいと思っています。
生徒を育てることにも自分の生きがいを感じています。ここでは女性だけでなく、男性の生徒もいますし、日本人だけでなくアメリカ人や他の国の生徒もいます。人種や性別を問わずに生徒たちと交流を持つことができて楽しいです。それは日本にいてはできない経験だと思っています。
4.アメリカ生活で、苦労したことがあれば教えてください。
ウェスリアン大学で講師をしていた時は、Visiting Artist という立場でした。ニューヨークに引っ越してからも、大学で琴を教えていました。当時は経済的に車を持つ余裕がなかったので、バスを乗り継いで片道6時間かけて通っていました。それを続けることで、ビザを確保していたのです。この仕事でどうやってビザを取ればいいのかわからず、悩むこともありました。記憶では98年頃に、Artist Green Cardというカテゴリーができ、後にそちらを取得し今に至ります。
5. アメリカにきて、自分が成長したとおもえるような体験談はありますか?
日本にいる時から、自分で琴の演奏会などを積極的に売り込みにいく性格でした。アメリカに来てからも、自分の履歴書や琴の演奏について、どんどんメールなどを送りました。100件くらい問い合わせると1件くらい良い返事があります。頑張ればできるものだなと少しずつ自分の中で確信が持てるようになりました。英語の問題は大きかったですが、ニューヨークの人たちは外国人に慣れているので、負けずに声をかけていました。負けない心がアメリカに来て強くなったと思います。「絶対にやり遂げよう、頑張ろう」と思っていると、不思議と助けてくれる人がいるんですよね。一生懸命頑張っていたから今の自分があると思います。
6.今後の夢や目標を教えてください。
一番は、お琴の文化がこれ以上先細らないように今の活動を続けていくことです。そして、多くの方に興味を持ってもらうためには、もっと何かできるのではないかと思っています。私の師匠の長男(現在の家元)は、若い頃から現在も、琴とへビーメタルの二足の草鞋で、X JAPANのYOSHIKIさんともお友達でした。その影響があってか、私もロックやヘビーメタルの音楽を身近に感じています。YOSHIKIさんの音楽才能は素晴らしいですし、話題性として、彼が琴の音楽を書いてくれたらどんな曲になるのだろうとずっと頭にあるんです。私のために曲を書いてくれる可能性はないに等しいですが、言わないと叶わないと思っているので、みんなに笑われてもいつも言うようにしています。邦楽とは畑違いの異色の方に曲を書いてもらい、多くの方に「どんな曲なんだろう」と興味を持って聞いてもらいたいです。これは個人の演奏家としての目標です。
よく日本の方からは「日本の伝統文化を背負って活動していて素晴らしい」とお声をかけて頂きますが、私は全くそのようには思っていません。私がやりたい音楽をやっているだけのことで、それが偶然日本の文化につながるものでした。自分一人では何もできないと常々感じていて、三人寄れば文殊の知恵、グループを作って活動することは大切だと思っています。師匠が切り開き託して下さったこの道、恩返しのためにも、私が主宰する音楽グループ、MIYABI琴三味線アンサンブルを、もっとここで大きくしていきたいです。
7.これから何かを始めようと思っている在米邦人の方にメッセージをお願いします。
私が大切だと思っていることは、信念を持ってやることです。何かを始めるときに「失敗するかもしれない」と思うこともあるかもしれません。でも、頑張ってやっているのは周りの人に通じると思いませんか。2022年にカーネギーホールでリサイタルをした時のことですが、それは私の30年間の集大成の演奏会で、一年前から準備をしていました。でも、手違いがあり、会場を予約するのが遅くなってしまい、結局会場を押さえられたのがイースターの週末だったんです。両親の年齢なども考えると、延期することもできずやると決めました。友人に声をかけても旅行の予定があって来れないと言われたりして、夫には100人来てくれたらいいじゃないと言われました。その時私は、真剣にみんなに来ていただきたいという思いで宣伝活動をして、私の真剣さが伝わったのか、色々な方が手伝ってくれたんです。だけど、あの時にお客さん来なくてもいいかといい加減に思っていたら、誰も手伝ってくれなかったと思います。どれくらい本人が真剣に思っているかというのは周りの人に伝わると思うので、信念を持っていれば、きっと救いの手を差し伸べてくれる人がいたり、アイディアを出してくれることがあると思います。結果的にリサイタルは満席でした。
もう一つは、アメリカに来て生活をしていると、みんな強くなると思います。でも、強くなり方を間違えないでほしいかなと思うのです。強い信念を持って活動することは大切ですが、権力に物を言わせることや、人への当たりが強いことは違うのではないでしょうか。人に感謝する気持ちを持ち、謙虚でいて芯の強さがあることが大切で、自分もそうでありたいと日々感じています。
Masayo Ishigure Koto & Shamisen Player in NYC
http://www.masayoishigure.com/
Masayo Ishigure New York Koto and Shamisen, Koto and Shamisen Online & In-person Private Lessons
★ Interviewer's note
私は音楽を聴くのは好きですが、小さい頃から音楽を奏でる才能がなく、音楽についてもあまり詳しくありません。それでも、本インタビューでは、演奏会の裏話なども聞かせて頂き、音楽家のことを知ることができ、とても貴重な時間となりました。石榑さんは小さい頃に琴と出会い、それを極め、多くの人を魅了する演奏をされているだけでなく、海外でお琴を広める活動もされていて、本当に素晴らしいと思います。やりたいことがあるなら、言葉や文化に負けずに、信念を持って進むことの大切さを学ばせて頂きました。これからも活躍を楽しみにしております。
Interviewer: MASAE MÁK