私の生き方 in アメリカ

#26. 自分との対話を変えれば、自分自身を変えることができる ― ガート光希(VA)

8/16/2024 | 私の生き方 in アメリカ インタビュー

今回ご紹介するのは、アートセラピストとして活躍されているガート光希さんです。

1. アメリカに来た経緯を教えてください。

高校卒業後、大学進学するときに留学でアメリカに来ました。心理学の勉強と、英会話にも興味があったので、それを両方できるアメリカに決めました。

2. 現在のお仕事、そこに至る経緯について教えていただけますか? 

大学では、心理学と美術を専攻するダブルメジャーでした。大学院に進むときにアートセラピーを専攻しようと思ったのですが、将来仕事が見つからないと周りに言われました。当時、アートセラピーは知名度が低く子ども向けの事が多かったので、高齢者の方々とアートセラピストとして働きたいと思っていた私には、あまり仕事がなかったんです。結局、大学院ではソーシャルワークを専攻し、それに加え大学院レベルのアートセラピーの資格を取得しました。卒業後、高齢者施設のソーシャルワーカーとして働き始めました。入退院の手続き、遺書の作成や医療関係の決断のお手伝いなどが仕事でした。その傍ら、そこに住んでいる方にアートセラピーをしていました。

今は、5年ほど前に開業し、セラピーの仕事が中心となっています。クライアントの方は、高齢者、移民、有色人種の方が大半です。その他に、大学院でアートセラピー専攻の学生に週1回授業をしたり、絵を描くアーティストの一人として、個展や絵の販売もしています。今年の1月からはアートスクールで、アートを通して心の健康を保つためのグループ、また木版画のクラスも始めました。

3. アートセラピーに興味をもたれたきっかけは?

高校の時、美術部で油絵をやっていました。16歳の時に父が突然亡くなり、様々な気持ちが湧きあがってきた時に、絵を描くことが私の助けになりました。留学後、母から高齢者施設でアートセラピーの活動している方の記事を教えてもらい、それを読んで、これが私のキャリアかもしれないと思ったんです。アートセラピーについて調べていくと、父が亡くなった後に自分がやっていたことにとても似ていました。自分でやっていた美術というものが、アートセラピーにくっついた感じです。

一旦ソーシャルワーカーの道に進みましたが、アートセラピーは諦められませんでした。ビザの関係で、できる仕事が限られている中で、どうしたらアートセラピーをできるのかを考え、ソーシャルワーカーとして働いていたときに自分から「アートセラピーをやってみませんか」と様々な仕事場で提案していきました。ある仕事を探すのではなく、やりたい仕事を作り出す、そういう形で20年間過ごしてきたんです。

ガート光希さん

4. アートセラピストについて詳しく伺えますか?

アートセラピストは、絵を描いてもらうだけでなく、クライアントの方が何に困っているのかを把握した上で、画材を選んでいます。何の画材を使うかによってどのような気持ちが出てくるかが変わるからです。また大人の方に白い紙出して絵を描いてくださいと言うと、「描けません」という方が多いんですが、それは絵はこうあるべきと言うのが刷り込まれているからなんです。その偏見を超えて描いてもらうために、わざといらない紙を使う事もあります。作品を振り返ると、そこにも「〇〇でなければならない」と言う思いが見えてきます。例えば女性でしたら「家にいるべき」などです。このような自分に対しての考えや、生きてきた中で教わってきた価値観などは誰しも持っていて、自分の作品に向かうことで表にそれが出てくるんです。その思いや考えを聞かせていただき、クライアントの方々が自分への理解を深めることに繋げていく作業を、絵などの作品作りを通して一緒にします。

5. アメリカ生活で、苦労したこと、日本に帰りたくなった体験があれば、教えてください。

留学したのはアイオワ州で、白人社会でした。田舎町の2000人くらい生徒がいる大学で勉強したんですが、一番近い日本食レストランのは車で2時間くらいかかりました。そのような場所で過ごすときに一番辛いのは差別ではないでしょうか。英語もあまり話せなかったので、最初の1、2年はたくさん泣きました。諦めて帰る人もいましたが、私は父が亡くなり、母に頑張ってきなさいと送り出してもらったので、辛いけど頑張ると心を決めていました。それを乗り越えると、辛いことは自分の強さに変わるんだと実感しました。

在学中に助けになったのは、世界中の色々な国から来ていた留学生の仲間達でした。20年経った今もその友人たちと連絡を取り合っています。アメリカに住み続ける中で、様々な国の方とお会いしますが、その一人一人に昔からの友人に繋がるものを感じ、どんな方と会っても親身になって話を聞ける自分がいるんです。英語圏に外国人として住んでいることの辛さや体験は、この国で育った方には分からない部分がたくさんあります。移民のクライアントの方々とお会いする際、この困惑や辛さに理解を示すことが、セラピストとして大事だと思っています。また大学講師としては、教えるということを通して、こういった部分を理解出来るようなセラピスト達を育てていきたいです。

6.アメリカにきて、自分が成長したとおもえるようなきっかけ・ 体験談ありますか? 

偏見のあるところで長い間過ごしていると、周りの偏見を自分の中に組み込んでしまうことがあると思うんです。そうすると、自分は下に見られている気がして、前に出れなくなりますよね。私は白人中心の社会で過ごしていた時に、偏見をどう受け止めればいいか分からない時期がしばらくありました。それを避けるのではなく、前から見つめて向き合っていくと、アメリカ社会の差別の仕組みなどが明確に見えてきたんです。そして、それについて絵や文献を通して自分から語り始めました。その時に、自分の体験を理解して他の人に話せる、それくらい自分が成長できたんだなって感じたんです。その時が一番自分が成長した時だと思います。

また、私の体験を理解してもらったことで、大学院の講師のお話をいただいたり、去年まで米国のアートセラピー協会の理事をしてましたが、それも声をかけていただきました。周りの方に持ち上げてもらえる位置に立てる事が、15年前は考えられなかったことなんです。人の上に立つことでさらに成長できています。

7. 今後の夢や目標は?今後の活動をどうやって進めていきたいですか?

今年1月にアーティストとして初めて個展を開きました。私の作品は、アジア人女性・移民としてアメリカにいること、長い間アメリカにいることで自分の中の日本文化がだんだん薄れていくこと、それらを追求する作品です。それを見に来ていただいた方々とお話していて、私の作品が彼らの体験につながっているのがよくわかりました。これは、他の人達と人生体験を共有する、またそれを通して自分たちと社会を理解していく、という作業です。それをこの先も続けていきたいと思っています。

もう一つはメンタルヘルスのことです。アメリカのメンタルヘルスは西洋の視点がとても強いんです。私たちのように別の国・文化から来た方へは異なるアプローチが必要になります。母国の文化から自分を切り離すのではなく、双方を受け入れたかたちでカウンセリングする、という考えを広めたいし、深く追求していきたいです。

8.アメリカにいて、やりたいことが見つからなくてもやもやしている日本人へのメッセージはありますか?

大切にして欲しいのは自分に対しての話し方です。それを少し変えるだけで、自分がとても変わります。どうしたらいいのかなと思う時は、「私なんか」「私じゃ」っていう文章がたくさん頭に浮かんでいるかと思います。その時には一度考えを止めて、深呼吸してみてください。そして、自分に「その文章をどう変えますか?」と聞いてあげます。例えば、「私なんか」を「私には」「私でも」っていう言葉に変えると、やりたいことに向かっていく時に気持ちが前向きに変わると思います。ぜひ試してみてください。

★Interviewerのあとがき

今回、これまで偏見や差別に負けずに自分のやりたいことを追求し、挑戦し続けてきたガートさんの人生の歩みを伺う事ができました。「やりたい仕事がなければ自分で作り出す」という言葉が印象的です。そして、私はアートセラピーは絵が描けないとできないと考えいたのですが、それは自分の中の偏見だと気付く事もできたインタビューになりました。今後もご活躍を祈念しております。

取材・執筆:マーク正恵

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