今回はマサチューセッツ州で琉球國祭り太鼓の非営利団体を運営されているハヤシ理恵さんをご紹介します。
1. アメリカに来た経緯と活動をすることになったきっかけを教えてください。
結婚を機に2001年にルイジアナ州、2003年にテキサス州ヒューストンへ移住。そこで沖縄県人会との出会いがあり、沖縄の伝統芸能であるエイサーをしたいとの思いから2008年琉球國祭り太鼓テキサス支部が結成され活動をスタートしました。2018年マサチューセッツ州への引っ越しを機に、非営利団体として2020年4月に琉球國祭り太鼓マサチューセッツ支部を立ち上げ、現在活動をしています。
2. なぜ、その活動を続けることにしたのですか?
テキサス州でエイサー(琉球國祭り太鼓)と和太鼓(雷太鼓)の両方を披露する機会に恵まれ、観客の皆さんの反応に何度も心を動かされました。一緒に踊ってくれる方や踊りを観て泣いている方、そして、「ありがとう」と言ってくれる方がたくさんいらっしゃいました。最初の頃はその意味を考えることはなかったけれど、しばらく活動を続けていくうちに感謝される深い意味が分かり、伝統芸能を演舞していく意義と自分のルーツや育ってきた文化を肌で感じました。私生活で紆余曲折いろいろありましたが、太鼓を決して手放さず、どんな時も支えにしてきました。しばらくしてマサチューセッツ州に引っ越すことになり、日本や沖縄の文化が身近に感じられない環境に初めて置かれ、これまでにない寂しさを感じたんです。沖縄から持ってきた三線を手にしながら、どれぐらい自分と同じことを考えてる人がいるのかと悶々とこれからのことを模索する日々でした。そんな中、和太鼓グループ進太鼓の演者として活動を始め、活動を通してエイサーに興味を持ってくれる人にお会いしたり、小さい頃から自分のアイデンティティーを探しているという方々の話を聞いていくうちに、伝統文化のニーズを感じたんです。また、マサチューセッツ州を含むニューイングランドの6つの州には沖縄のコミュニティーが無いという事実を知り、それらのニーズを形にしていきたいという思いから琉球國祭り太鼓の支部を立ち上げる決意を固めました。
3. 非営利団体を立ち上げるまでの道のりをお聞かせください。
最初は一人ででも活動をスタートする覚悟でいました。琉球國祭り太鼓には「チュバチに五十人の仲間ができる」というスローガンがあります。「チュバチ」とは一度にという意味で、一度に50人仲間ができるという意味です。たとえ一人でスタートしたとしても世界中に仲間がいることが分かっていたので、支部を守っている限り大丈夫だと信じ、意欲的に活動ができました。幸運なことに私に賛同してくれる素晴らしいメンバーに出会い、非営利団体琉球國祭り太鼓マサチューセッツ支部を立ち上げることができました。非営利団体にした理由は、責務、保険、人権などに関わる事案の協力や支援を得やすいという利点があるからです。また、運営資金など州や団体に助成金申請を行うことができるので、結成したばかりの支部にとっては非常に大きな支援となります。申請するには法律や知識を一から学ぶ必要があるのですが、私には無かった専門的な知識や経験を持ってる方に出会うことができ、祭り太鼓の活動をどのように構成したらいいかと話合いを重ねました。より良い環境づくりに邁進し、メンバー一同の努力の甲斐もあり、この度MCCとAAPIから助成金を頂くことができました。たくさんのご縁に恵まれたことにとても感謝しています。
4. 一番大変だったことはなんですか?
2020年コロナ禍の中で活動をスタートしました。決定していた4月の結成式を実行に移すことができるか否かとても不安でしたが、本部の方からの「このご時世だからこそ嬉しいニュースが必要」という言葉に背中を押され予定通り進めました。Zoomを通して各自練習をスタートさせることができましたが、大きな太鼓を持って踊るには広い場所が必要です。資金が無い中での練習場所の確保はとても大変で、公園や学校グラウンドなど、いろいろな場所へ出向きました。活動から2年後、幸運なことに、練習場所を提供してくれる地域のご厚意を受け、現在は所定の場所で練習することが可能になりました。
5. 日本に帰りたくなったことはありますか?
自分自身への約束と決意を兼ねて、アメリカに出発する前に両親に手紙を書いてきました。「必ず成功して帰ってくるから」と。帰る時は何かしら成功したという形が出来た時と心に決めており、8年間帰りませんでした。私の家族や周りの友人はすぐに帰ってくるだろうと思っていたそうです(笑)。また、小学生の頃から自分は海外に住むと決めていたので、自分が自分で居られる場所ここアメリカで、海外生活の不便さは多少感じながらも自分が住む環境にフィットできるように努めました。
6.今後の夢や目標は何ですか?
周りの皆にやめて欲しいと止められるほどの夢や目標がたくさんあります。目下の目標は2026年に向けてのマサチューセッツ州支部の5周年記念公演です。ニューイングランドの真ん中に位置するボストンで、大学や様々な団体とコラボレートして沖縄の文化を発信していきたいと考えています。また、何年かかっても実現させたい私の個人的な夢があります。ボストンの魅力が詰まった建築に囲まれた劇場Boston Wang Theaterでの記念公演です。足を運んでくださるお客様やゲストアーティスト、そして仲間達を驚かせたいという気持ちと、すべての人に感謝の気持ちを届けるためのイベントを開催するために考えを巡らせています。我々からのありがとうを込めた演舞に、これからもどうぞ宜しくおねがいします等、心から湧き出るすべての想いを込めたい。そして、伝統芸能に携わっている若者たちや次世代の子どもたちに、アメリカでの舞台を踏んでほしい。沖縄の伝統芸能が世界に通用すると知って欲しいんです。仲間との繋がりを感じ、やってよかったと思える舞台をどんどんつくり、継承していけたらと思っています。
7. アメリカにいて、やりたいことが見つからずに、もやもやしている日本人へのメッセージをお願いします。
自分は何をしたいのか、何に興味があるのか、まずは自分をしっかり見つめることが大事だと思います。正直、この問いはとても答えにくいと感じました。今いる自分の環境が当たり前ではないということ、アメリカで生活しているということや今ここにいること自体が奇跡的です。貴重な機会が転がってるということを認識すると何らかの行動やチャンスに繋がっていくのではないかと。私がそのように考える理由は、父の生き様を直近で見た体験からきています。私の父は3年前に死去しました。父と話すことがほとんどなかったのですが、末期ガンと知ったことをきっかけにたくさん話すようになりました。症状が容赦なく悪化する中、ひたすら治ることを信じて生きている父の姿をみて大変いたたまれない気持ちになりました。自分が今生きてる時間を大切にし、一生懸命に生きてるだけで奇跡に値することだと思い知らされたんです。今生きている私たちは、明日や来年のことを考えられます。大切なことが見つかれば、そこを鍵にして成長できると信じています。たとえ失敗しても明日がある!と思うとチャレンジは怖くないと思えるのです。必ず何らかの形で未来に繋がります。
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★Interviewerのあとがき
私が初めて琉球國祭り太鼓の演舞を観たのは、マサチューセッツ州の軍基地内のイベントです。日本への想いを馳せていた頃、ここアメリカで自分の故郷とつながった瞬間は忘れられません。太鼓の迫力に圧倒されたのと同時に、そこに宿る精力に元気をもらいました。理恵さんの情熱と努力はもとより、人と人を繋げたいという熱い思いに何度も胸を打たれたのですが、今回のインタビューを通して理恵さんを支えてる源が故お父様との時間であることを知って、真っ直ぐな姿勢と強い覚悟がそこからきているんだなと感じました。限りある時間に感謝し、毎日を最大限に生きることは意識してはじめて実行できるものであり、自分の役割と心の居場所を見つけることができたら何があってもやっていける、理恵さんからそう教わりました。
取材・執筆:ミーヘン香織