今回はカリフォルニア州で、Recovery Audit Analyst として活動する、シュミット直子さんにお話を伺いました。
1.アメリカに来た経緯を教えてください。
日本で(故)夫と出会い、コロラド州デンバーで結婚。その後ワシントン州のベインブリッジアイランドという島へ引っ越しました。現在はサンディエゴに二匹の猫と住んでいます。二人の子どもは成人しており、娘はロサンゼルス、息子は東京で働いています。
2.現在のお仕事についてお聞かせください。
現在Recovery Audit Analyst(編注:診療報酬監査アナリスト)として大学病院アシスタントディレクターの元で働いて4年目になります。この仕事は一言で言うと、外部のあらゆる監査から病院の収入を守る仕事で、監査の内容によって医療コーディング(編注:国際的に定められた分類に基づきカルテ内容を符号化する業務)、ドクター、コンプライアンス、請求書、法律関係など、病院のオペレーションの色々な部門に働きかけて、時には監査に意義を申し立てたり、誤りを指摘された時には現状を修正、改善します。例えば、患者さんの状態や社会環境にもコーディングが細かく設定されているのですが、カルテの中のコーディングがこれで合っているのか、ドクターと調整や裏づけをしながら資金の証明をします。
3.この仕事をすることになったきっかけは何ですか?
最初は翻訳の仕事をしていましたが、子どもが生まれたことがきっかけで仕事を離れて主婦をしていました。夫は経済開発という政治的な要素が絡んだ難しい仕事で転居が多かったのですが、ちょうどサンディエゴに移った2年後にリーマンショックがあり、不況の影響を受けて解雇されました。しばらく失業保険で生活を続けていましたが、子どもが高校生になりお金がかかる時期でしたので、ここで私は一念発起。経済に影響されない仕事はなんだろうかと考えた時、子どもの頃から医療に関心があり、周りにも看護師として働いてる方がいたので看護師になろうと考えていました。その時私は45歳。当時、医療のバックグラウンドがなかったこともあり、一から看護師になるのは時間がかかりすぎると思い直し、別の選択に目を向けました。そこで、病院の事務職を考慮し準学士号をとるためコミュニティーカレッジに通い始めたんです。私は日本では理系ではありませんでしたが、解剖学や薬学が自分に合っていることが分かり、勉強は苦ではありませんでした。資格が直に職に結びつくことを肌で感じており、仕事に密着した勉強ができることが楽しかったです。
4.Recovery Audit Analystにつくまでの道のりをお聞かせください。
ご縁がこの特殊な仕事に結びつきました。学んでいた当時、講師が小児病院のディレクターの方で、その講師からHeath Information Technology (編注:診療情報技師)のお仕事の話をいただき、2012年から2016年まで小児科病院で働いていました。ドクターが書いたカルテを読むこと、一個一個コードにしていくこと等、仕事が楽しかったです。仕事が軌道に乗っていたある日、大学病院で働かないかと学校の知り合いから依頼を受けました。突然でびっくりしたのですがせっかくだからと応募することにしたんです。申込みが大変でしたが無事合格し、大学病院University of California San Diegoでの仕事をスタートすることにしました。そして、働く中でもっと学びを深めたいと思い、学士を取るための勉強を始めました。卒業を条件に、その大学病院のRecovery Audit Analystのお仕事の話をいただき、現在に至ります。
5.一番大変だったことは何ですか?体験談をお聞かせください。
夫が失業中の8年間ずっと家計を支えていました。さらに追いうちをかけられるように、2016年の夏、夫の膵臓癌が発覚しました。学士を取ると決めた矢先の余命数年の癌告知。大学へ通うことを一度あきらめたのですが、夫から背中を押され勉強を推し進めました。夫がついに寝たきりになり、私は彼を看病しながら家で仕事と勉強と家事をこなしました。だんだんと弱っていく夫の姿を横目で見ながら、自分の持てる力の全てを投入して日常を送っていました。念願の学士を取得し、夫が私の卒業式に出席することができたことは幸いでしたが、卒業した2ヶ月後に彼は逝去しました。そして彼が他界した後、働いていた大学病院から今の仕事のオファーをもらったんです。思い返すと全てのタイミングがよかった。あの時、夫が失業して私が仕事をしようと思わなかったら今どうなっていたことだろうと。夫がいなくなって、仕事も無い状態でどうやって生活していいかわからなかったと思います。
6. 日本に帰りたくなった体験があれば教えてください。
47歳で学校に行き新しいキャリアを始めるなんて、アメリカでこそできることではないでしょうか?日本に帰りたくなったことは一度もありません。日本の同級生や友人から話を聞いて日本ではあまり働き口がない現状を知っていましたので、ここでがんばろうと。アメリカではリタイアの年齢が決まっているわけでもなく、私のように還暦を迎えても仕事さえできればいつまでも続けられるのがありがたいです。私の強みであるコードの知識を一つとっても、ドクターが同じ目線や立場で対等に扱ってくれることなど、頑張れば報われるこのアメリカ社会で働くことにやりがいを感じます。
7. 仕事の楽しいところは何ですか?今後の目標は?
今進行中の監査のプロジェクトはオンコロジー(腫瘍学)部門の抗がん剤なのですが、勉強になることも多くてやりがいがあります。抗がん剤の保険が払われる為には多くの条件があるのですが、ドクターや関係者たちとその条件を満たせるよう努力し、チームワークで協力して厳しい監査をパスできた喜びはひとしおです。
仕事で一番苦労するのはお手紙を書くときです。文章力や説得力をもっと磨いていきたい。ネガティブな内容をいかに前向きな文章に変えて相手にどう訴えかけるか、また、ネイティブに近いニュアンスでどうアピールするかなど心がけています。Chat GPTなどAIの力も借りながら伝わる文章を書けるよう努めています。
8.アメリカにいて、やりたいことが見つからずに、もやもやしている日本人へのメッセー ジをお願いします。
身近な事で自分の関心があるものをどんどん見つけていくといいと思います。それが自分に合っているか確かめながら進んでいくと形になっていくはずです。もし、言葉の壁やコンプレックスがあるならそれを決して感じないでいてほしい。度胸を持って何事も進んで行くとおのずと道が開けると思います。
また、私の経験上、医療コーディングの仕事は大変おすすめです。アメリカでは医療コードが支払いに直接つながっているので、非常に重要視されており、経験や知識を積んでいくと報酬も良く、大変やりがいがあります。今ではほとんどの場合自宅で仕事ができるので、それも魅力ではないでしょうか。私はHealth Information Management(編注:診療情報管理士)の学位を取り、試験を受けてRegistered Health Information Administrator (RHIA)という資格を取ったのですが、この資格を通して医療保険会社、医療コード監査の仕事など応用が効きます。
(編注)職種や資格などで日本語に該当する単語がないものは、医療関係者以外にも伝わりやすい日本語を補足説明として加えさせていただきました。
★Interviewerのあとがき
Recovery Audit Analystという聞き慣れない職業に私はとても興味津々でした。現在の職に就いた過程の中でご縁を大切にしてきたことに直子さんのお人柄を感じました。旦那さんの膵臓癌が発覚した際のお話に涙ぐんでいた様子を拝見して、私の想像を絶する困難をくぐり抜けてこられたんだなと胸が張り裂けそうになりましたが、お話をシェアしていただいたことにとても感謝しています。旦那さんがくれたタイミングの贈り物が、生き生きと働く直子さんの心の糧になってるんだろうなと勝手ながらそう思いました。やりがいのあるお仕事が、生きがいに繋がるのだと思います。私自身、生きがいにつながるお仕事をこれからも追求していきたいと思います。そして、40代かと思いきやまさかの60歳!これからも勉強を続けてチームの一員として頑張っていきたいと意気揚々におっしゃってて、直子さんの若々しさと強いバイタリティーに感銘を受けました。
取材・執筆:ミーヘン香織