私の生き方 in アメリカ

#11: 薬学の知識や子育ての経験を活かして在米日本人の生き生きとした笑顔を広げたい- 立川ひさ子さん(CA)

3/6/2023 | 私の生き方 in アメリカ インタビュー

今回は、カリフォルニア州サンディエゴで、医療通訳をしながら非営利団体を運営する、立川ひさ子さんにお話を伺いました。

1. アメリカに来た経緯を教えてください。

研究者の夫がアメリカで研究をしたいと言い出し、ボストンの大学で博士研究員の仕事を見つけてきたことがきっかけで、家族でアメリカに引越してきました。その後、サンディエゴの企業に夫の就職が決まり、再度引越しました。

2. 現在のお仕事や活動、そこに至る経緯を教えていただけますか?

医療通訳をしながら、子育て中の親御さんや中高生を応援する非営利団体「ぽーと会」の運営をしています。

日本では薬科大学を卒業後、製薬会社で働いていました。薬局での経験を少し積んだところで、アメリカに引っ越してきました。アメリカでも薬剤師になろうと思い立ち、英語で薬学の勉強を始め、無事にFPGEE(Foreign Pharmacy Graduate Equivalency Examination)という試験に合格し、認定証を取得しました。これはアメリカ国外の薬学部を卒業した薬剤師が、アメリカの薬学部卒業と同等のレベルかを審査し認定する試験です。一般に認定証を取得後は、自身で病院や薬局などのインターン先を探して勤務するのですが、私のビザでは働けないことがわかりました。ショックでしたが、今自分にできることは何だろうと自問自答した結果、今は勉強して力をつけたい、という結論に達しました。そこで近所の大きな病院に「自分は日本で薬剤師の資格があり、FPGEEの認定証もある。雑用でも何でもやるので、薬局で働かせてください」と頼み込み、ボランティアをすることになりました。薬の現場に関わることができて本当に嬉しかったです。

その後、無事にグリーンカードを取得し、スーパーの中にある薬局でインターンとして働き始め、インターン期間中に国家試験であるNAPLEX(North American Pharmacist Licensure Examination)にも合格しました。その後、カリフォルニア州の試験を受けたのですが、2回続けて落ちてしまいました。当時は4回まで試験を受けられたのですが、いざアメリカで薬剤師になれる可能性が現実味を帯びてくると、だんだんと薬剤師になること自体に恐れを感じるようになりました。町の薬局で薬剤師になると、自分の勤務時間帯に起きたすべてのことに、自分が全責任を負うことになります。自分の英語力が足りているのか、患者さんやお医者さんからかかってくる電話を100%理解できるのか自信がありませんでした。そんなある日、涙ながらに症状を訴える患者さんと出会いました。その時、患者さんの英語を完全には理解することができず、共感していることをはっきりと伝えることができなかったのです。今思えば、言葉がわからなくても、例えば手を握るとか抱きしめるとかいったジェスチャーで共感を示せたと思うのですが。この経験で、命を預かるという重大な職務にしっかりと応えることができるのか、本当に薬剤師になっていいのかと、ますます考えるようになりました。もっと役に立てる場所があるのではないか、私がいることで喜ばれる場所が他にあるのではないか、と思うようになりました。補助の仕事はどうかと考え、Pharmacy Technicianの資格を取ったりもしましたが、当時はリーマンショックの余波が残っており、私の職場でも人員整理が行われ、私も会社を解雇されました。そこがターニングポイントとなりました。

会社を解雇された時、長女は10年生でした。そろそろ大学受験について考えなければいけない時期で、親としてできることがあればサポートしたい。けれど、アメリカでの大学受験について何の知識もない。すると日本語補習校の周囲の親御さんたちも同じだったことがわかり、集まって受験についての情報交換をするようになりました。そして2010年に、ぽーと会の活動が正式にスタートしたのを機に、運営に関わるようになりました。最初は内輪の会だったのですが、徐々に参加者も増えていきました。

私が薬局を離れたのも、ぽーと会がスタートしたのも2010年。運命のようなものを感じ、運営スタッフとして活動を始めました。この活動をしながら子供をサポートし、大学に送り出そうと決めました。2013年に当時の代表が退き、私が2代目の代表となりました。
長女に続き、長男も大学に巣立ち、子供をサポートして大学に送り出す、という自身で設定したゴールに達した時、「次は私の時代だ!」と思い、医療通訳の仕事を始めました。医療通訳になったのは、今まで勉強してきた知識が活かせること、また私自身がアメリカに来た当初、英語に自信がなくて病院に行くのが辛かったため、同じ苦労をしている人たちを助けたい、と思ったからです。

3. お仕事や活動の楽しい点、大変な点があれば、教えてください。

医療通訳は、医療従事者と患者さんの橋渡し役です。私が通訳で間に入ることで患者さんがほっとしてくださる時は、この仕事をやっていてよかったと思います。少し緊張気味だった患者さんの表情がぱっと明るくなった瞬間や、お医者さんが「通訳として来てくれてありがとう」と言ってくださる時、「ちゃんと橋渡しができたのだな」と、とても嬉しくなります。アメリカで薬剤師にはならなかったけれど、こういう形で学んだことを活かせているのも嬉しいですね。
大変な点、難しい点は、状況が芳しくない患者さんと寄り添う際の、自分のメンタルの持ちようです。常に患者さんに寄り添うことを心掛けていますが、症状も人生で抱えていらっしゃるものも、患者さん一人ひとりまったく違うので、本当に100%患者さんの気持ちを理解することはできません。そこにこの仕事の難しさを感じます。

非営利団体の活動も、嬉しいのは、やはりお母さん達がほっとする姿を見られた時ですね。ゲストスピーカーのお話や先輩方の体験談を聞いて、お母さん達の表情がどんどん生き生きとしたものに変わっていく。その変化を見るのが至福の瞬間です。私自身がこの会に助けられたように、これからも親御さん達や中高生の力になれたらと考えています。大変だと思うことはないですね。忙しい時に私生活とのバランスを考えなくてはいけないこともありますが、大変だとは思っていません。医療通訳も非営利団体の活動も、在米日本人のサポートができれば、という思いでやっています。

4. アメリカ生活で苦労したことはありますか?

アメリカに来た当初は、私も、当時5歳と3歳だった子供たちも英語ができなかったので、からかわれたり、笑われたり、みじめな思いもたくさんしてきました。長女は英語がわからなくて泣いたこともありました。そんな時は子供たちに「パパの仕事が理由でアメリカに来たと思うのはやめよう。自分のために、英語がペラペラになるように頑張ろう!」と伝えてきました。パパの仕事のせいでアメリカに来て苦しい思いをしてるんだ、とは思ってほしくなかったんです。今アメリカにいるのは、自分たちが成長するためなんだと考えてほしかったのです。

5. 今後の夢や目標があれば教えてください。

アメリカ生活も長くなり、ここが自分のホームだと感じるようになったと同時に、当初のハングリー精神がかなり薄れてきている気がします(笑)。自分を奮い立たせるためにも、もっと勉強がしたいですね。これからも医療通訳とぽーと会の2つを自分の軸にしていくので、医療関係の勉強や非営利団体の運営についても学びたいなと思っています。また、会の活動内容もより充実させていきたいです。

6. アメリカでやりたいことが見つからず、もやもやしている日本人女性へのメッセージをお願いします。

やりたいことがわからない時は、何でもいいのでボランティアを始めてみることをおすすめします。ボランティアなら誰かの役に立つこともできるし、もし辞めることになっても、失うものは何もないですよね。
また、今必要なことをこなしていく中で、自然と自分の道ができる、ということもあると思います。何かをしたい!けれど、やりたいことが今はまだわからないという時は、今できることをしながら進んでいくと、自然とやりたいことも見つかっていき、その過程で自分の新しい才能に気づくかもしれません。その時は点に見えて、これが一体何の役に立つのだろうと思う瞬間があったとしても、その点はいずれ線になります。そして将来、「私はこの道に進むために今までこれをしてきたのか」と思える時が必ずやってくる。私はそう信じています。

ぽーと会 : https://portkaisandiego.org/

★Interviewerのあとがき

今回お話を伺って、ひさ子さんは、とても柔軟な方だという印象を受けました。置かれた環境に臨機応変に対応し、自分の取るべき道を選び、そしてその選んだ道を全力で楽しんでいると、自然と道がひらけてくる、ということを教えていただいたと思います。自分のキャリアパスやライフプランを考える時に、「この仕事でなくてはいけない」「この生き方しかできない」と、自分の考えや、やり方にこだわり、狭い枠の中に自分を閉じ込めてしまうと、まだ見えていない無数の可能性をもつぶしてしまいます。頭が凝り固まっている時には、周りの人に意見を聞いてみたり、「〇〇さん(好きな有名人や尊敬する人など)だったらどう考えるかなぁ」と脳内シュミレーションをしてみるのもおススメです。そして、ひさ子さんのように「今、自分にできることは何か」という問いを常に自分に投げかけることで、目の前に広がるたくさんの可能性に気づくことができるのだと思います。

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